滞在許可証返却
メガネ置きです。
イタリアに長期滞在するうえで欠かせないのが、滞在許可証(ペルメッソ・ディ・ソッジョルノ)です。
私はこれまで滞在許可証申請の面倒な手続きについて、3編にわたって説明してきました。
そんな滞在許可証ですが、イタリアから日本に帰る際、そのまま持ち帰ってしまってもいいのでしょうか。
今回は、イタリア留学最後の関門ともいえる、滞在許可証の返却についてお話しします。
全ては運任せ?
イタリアから帰国する際、原則として滞在許可証はイタリアに返却しなければなりません。
返却・更新を行わないまま許可証の滞在期限が切れると、イタリアにいなくても不法滞在者として見なされてしまう恐れがあるためです。
滞在許可証は、イタリアを出国する際に空港で返却します。
私の場合は、パスポートコントロールでパスポートと滞在許可証を提示した際に「滞在許可証を返却したい」と伝えたら、担当者が対応してくれました。
滞在期限がまだ残っていたため若干渋られたものの、出された書類に一度署名をするだけで、滞在許可証の返却は完了しました。
……と、これだけ見ると滞在許可証の返却は非常に簡単そうに思えますが、実際はそうでもありません。
私の友達の中で滞在許可証を無事に返却できた人はむしろ稀で、多くの人が滞在許可証をそのまま日本に持ち帰ってしまっていました。
原因は恐らく、現地の担当者が滞在許可証の回収についてそこまで把握していないためではないかと思います。
私の時のようにちゃんと対応してくれる人もいますが、「お土産として持って帰っていい」と言ったり、全く取り合ってくれなかったりする担当者もいるそうです。
もしくは、許可証の期限がまだ切れていない場合、失効前にまたイタリアに戻ってくると見なされ、受け取ってもらえないということもあるかもしれません。
確かに、帰国後期限が切れる前にもう一度イタリアを訪れるのであればその時に返却するのが望ましいですが、そうでなければ出国時に返すのが最も良いタイミングです。
結論から言うと、滞在許可証を返却できるか否かは、担当者がしっかりと対応してくれるか否かにかかっていると思います。
どんな担当者に当たるかは運次第なので、滞在許可証の返却も、もしかしたら運次第になるのかもしれません。
いずれにしても、イタリア出国時に出入国審査の窓口で滞在許可証を返却したい旨をしっかりと伝え、その後は状況に応じて対応していく必要があるでしょう。
ただ、滞在許可証を日本に持ち帰ってしまってもイタリア大使館に提出するなどの対応策があるので、たとえ返せなくてもそこまで心配することはないと思います。
皆さんが、順当に滞在許可証を返却できることを願っています。
カンノーロ
メガネ置きです。
今回は、私が気に入ったイタリアグルメについてお話しします。
シチリアの絶品ドルチェ
今回は、満を持して「カンノーロ」というイタリアのお菓子を紹介させていただきます。
カンノーロはシチリアの伝統菓子のひとつで、筒状の小麦粉生地の中にリコッタチーズやカスタードクリームをたっぷりと注ぎ込んで作る、他ではあまり見られない甘いドルチェです。
数あるイタリアドルチェの中でもかなり人気のあるもののひとつで、現在はイタリア中のバールやパスティッチェリアでその姿を目にすることができます。
…カンノーロ。筒型の生地の中に、溢れんばかりのクリームが詰め込まれています。写真のもののように、チョコレートチップやドライフルーツなどをトッピングして食べるのも一般的です。
サクサクに揚げられた生地と濃厚なリコッタチーズの相性は抜群で、一度食べたらやみつきになります。
甘さが強いのでエスプレッソ系の飲み物との相性も良く、コーヒーブレイクのお供に最適です。
私もカンノーロの魅力に取り憑かれた者のひとりで、週に2〜3回食べていた時期もありました。
外の生地が崩れやすいため少々食べにくいのが難点ですが、そんなことは全く気にならないほど美味しいので関係ありません。
また、ジェラートの味にも「カンノーロ・シチリアーノ」というものがあり、そちらも絶品です。
イタリアを訪れた際は、カンノーロをぜひ探してみてください。
トランプ
メガネ置きです。
皆さんは、トランプはお好きでしょうか。
日本で一般的に遊ばれているトランプは、絵柄が「ハート・ダイヤ・スペード・クローバー」の4種類で、それぞれ13枚+ジョーカー2枚の計54枚のものだと思いますが、イタリアではこれに加えて、異なるタイプのトランプが普及しています。
今回は、イタリアで一般的に遊ばれているトランプ、「カルテ・ナポレターネ」についてお話しします。
外で遊ばない方がいい?
日本でお馴染みのあのトランプは、イタリアでは「カルテ・フランチェーゼ」と呼ばれており、決して遊ばれていないわけではありません。
イタリア人の友達によれば、これから説明するカルテ・ナポレターネと大体同じくらいのシェア率で普及しているそうです。
しかし、やはり私たち日本人にとってより興味が惹かれるのは、馴染みのないカルテ・ナポレターネの方でしょう。
カルテ・ナポレターネの歴史はカルテ・フランチェーゼよりも古く、その誕生は中世まで遡ると言われています。
名前に「ナポレターネ」とついていますがナポリ発祥ではなく、トルコからイタリアに伝えられたとされています。
カルテ・ナポレターネの絵柄は4種類ですが、「コッパ(盃)」「バストーネ(棍棒)」「スパーダ(剣)」「デナーロ(貨幣)」とカルテ・フランチェーゼとは全く異なります。
また、それぞれの絵柄における枚数は13枚ではなく10枚で、ジョーカーも存在しないためカードは全部で40枚になります。
人物の絵札は存在しており、カルテ・フランチェーゼでいう「8」「9」「10」にあたるカードが、それぞれ「ファンテ(歩兵)」「カヴァリエーレ(騎士)」「レ(王)」となっています。
…カルテ・ナポレターネ。なんともイタリアらしい、芸術的なデザインが特徴的です。
枚数やジョーカーの有無などに違いがあるため、カルテ・ナポレターネの遊び方は、カルテ・フランチェーゼでお馴染みのババ抜きや大富豪などとは大きく異なります。
「スコーパ」や「ブリスコラ」といった遊び方が有名ですが、残念ながらここでは詳しい説明は省略させていただくので、気になる方はぜひ調べてみてください。
実際に遊んでみるとわかりますが、カルテ・ナポレターネの遊び方は、ギャンブルのような印象が強いです。
一度カフェのテーブル席でこのトランプで遊んでいたことがあったのですが、「賭け事をしていると勘違いされて警察が来るぞ」と注意されていまいました。
おそらく実際にはそんなことは起こらないと思いますが、少なくともイタリアでは、トランプはギャンブルの道具のひとつとして認識されているということを知り、文化の違いは面白いなと思いました。
グラニータ
メガネ置きです。
今回は、私が気に入ったイタリアグルメについてお話しします。
イタリアのシャーベット
今回ご紹介するのは、「グラニータ」というイタリアのスイーツです。
レモンやオレンジなどの味がついたシロップを凍らせ、それを砕いてシャーベット状にした冷たいスイーツで、日本のかき氷よりも味が濃厚かつ舌触りが滑らかなのが特徴です。
グラニータはアラブ人による支配下のシチリアで生まれたとされており、現在シチリアではジェラートと並ぶ夏の定番スイーツとして非常に親しまれています。
ジェラートとかき氷の中間のような食感を持つグラニータですが、とにかく濃厚でフルーツの風味をそのまま楽しむことができます。
定番はシチリア名物のレモン味ですが、他にもオレンジや苺、桃などの果物、さらにはエスプレッソやアーモンドなどの一風変わった味のグラニータも売られています。
私はシチリアを旅行した際にこのグラニータの虜になり、何度も食べました。
一番のお勧めは、パレルモの「Pasticceria Costa」というお店の、桃味のグラニータです。
…Pasticceria Costaのグラニータ。犯罪級に美味しかったです。桃の果肉がたっぷりと入っており、驚くほどジューシーでした。叶うことなら、もう一度食べたいです。
…チェファルで食べた、苺味のグラニータ。私としては、グラニータはフルーツ味一択だと思います。
もちろんシチリア以外の場所でも売られているので、夏にイタリアを訪れる際は、ジェラートだけでなくグラニータもぜひ試してみてください。
カターニア観光記
メガネ置きです。
ボローニャから飛行機で約1時間半、パレルモに次ぐシチリア第2の都市、カターニアを訪れました。
今回は、その様子についてお話しします。
おじいちゃん旅行
2時間遅れの飛行機でやっとこさカターニアに到着し、私は「ALIBUS」というバスを利用して市内へと向かいました。
カターニアは、シチリア島の東部に位置する「シチリア第2の都市」として知られており、パレルモと並んでシチリア島の空からの玄関口の両翼のひとつを担っています。
私が今回カターニアを訪れたのは、どうせシチリアに行くのであればパレルモ以外の町もついでに見ておきたいという軽い動機からで、特にチェックしておきたい場所などはありませんでした。
それに加え、その日のカターニアは燦々と太陽が照りつける雲ひとつない快晴だったため、暑さで全く観光する気力が湧きませんでした。
そのため、自然私のカターニア観光は散策よりも休憩を優先するおじいちゃんペースになり、正直しっかり観光をしたとは言えませんでした。
とりあえず飛行機の遅延もあってお腹がペコペコだったので、カターニア市内に着いてすぐに昼食をとりました。
…屋外のテーブルで食事できる、開放的なトラットリアで昼食。お洒落ですが、外はやっぱり暑い。
…ベーコンとピスタチオのトロフィエ。トロフィエとは、ジェノヴァ発祥とされる手打ちのショートパスタです。クリームソースでいただきました。
この頃の私は連日の猛暑で食欲が完全に麻痺しており、ピザやパスタなどのイタリア料理が重たく感じられて仕方なかったのですが、このパスタは完食することができました。
昼食後すぐに宿泊先にチェックインを済ませ、いざカターニア観光と張り切っていきたいところでしたが、暑くて歩き回る気が起きなかったため中心部をあてもなくうろうろすることにしました。
…カターニアの中心部、大学広場と呼ばれる場所。恨めしいほどの快晴です。
…カターニア最大の通り、エトネア通り。カターニアの中心部は、基本的にこのエトネア通りに沿って歩いていけば大方見て回れます。
…マッシモ・ベッリーニ劇場。オペラやバレエなどが上演されるカターニア定番の観光スポット、らしいのですが今回は外観のみ。
…ドゥオーモ広場にある、像のオブジェ。像をチョイスするあたりに好感が持てました。
…カターニア大聖堂。もちろん非常に立派な聖堂でしたが、正直夏のイタリア観光における教会や聖堂は全て、私の目には日差しを避けるための休憩所として映ります。
そして、歩き疲れた身体を芯から癒してくれるシチリア観光の必需品が、イタリアの濃厚シャーベット「グラニータ」です。
…パイナップルのグラニータ。暑さに耐え切った後に食べるグラニータは、違法なのではないかと思えるほど美味しいです。このグラニータが、間違いなくこのカターニア観光のハイライトです。
…ベッリーニ庭園と呼ばれる、緑豊かな公園もありました。
…庭園の頂上からは、薄っすらとではありますがエトナ山が見えました。
エトナ山は、カターニアの北にある世界有数の大きな活火山で、噴火口付近まで接近して火山活動の痕跡を見学することもできるそうです。
カターニアの中心部のみの観光だけでは正直物足りないと思った(真面目に観光したわけではありませんでしたが)ので、もしカターニアを訪れる際はエトナ山のトレッキングツアーも一緒に検討してみると良いかもしれません。
ただ、もし行ける時間があったとしても、私は暑いからという理由で結局行かなかったと思いますが。
帰国
メガネ置きです。
遂に、日本に帰ってきました。
今、実家の自分の部屋でこの記事を書いているのですが、なんとも不思議な感じがします。
約10ヶ月間にわたるイタリア・ボローニャでの留学は、長かったようでもあれば短かったようでもあり、大変だったようでもあればなんてことなかったようでもあって、今は留学生活が終わったことに対する自分の感覚を、まだうまく言い表すことができません。
私は今回の留学を通して、人として少しは成長することができたのではないかと思っています。
留学前までは、その日その日をただなんとなくボケーっと過ごすだけの日々を送っていましたが、留学をきっかけに自分の将来についてよく考えるようになり、そのためにはこういうふうに生きていけたらいいな、という考えが整理できたように思います。
これからは、留学を通して身に付けた力をバネにして、気持ちを新たに日本での生活を再スタートさせていこうと思います。
今回の記事をもって「メガネ置きボローニャ留学日記」は終了です、と言いたいところですが、まだ書き終えられていない記事の下書きが残っているので、あともう少しだけ続きます。
蛇足のような感じになってしまうかもしれませんが、どうか最後までお付き合いください。
手紙
メガネ置きです。
去年の9月、イタリアに向けて日本を発つ直前に、羽田空港で家族から手紙を受け取りました。
「イタリアに着いたら読んでね」と言われていたのですが、読んでしまったら寂しさに押し潰されてしまいそうな気がして、なかなか封を切ることができませんでした。
そして、気が付けばイタリア出国の当日になってしまいました。
今まで読む勇気がなかった家族の手紙を、帰国の直前にようやく、読むことができました。
あと少ししたらみんなに会える、という事実が、背中を押してくれました。
当然ながら手紙の内容は、「留学楽しんでね」であったり、「身体に気を付けてね」であったりと、これから長い留学生活に臨む息子に向けた応援メッセージでした。
その留学生活はまさに今終わりを迎えようとしていますが、それでも家族からの温かい応援メッセージは、心にじんわりと染み渡るような心強さを持っていました。
これからすぐに帰るにもかかわらず、少し泣きそうになってしまいました。
今回のボローニャ留学は、家族の支えがなければ絶対に成し得ないものでした。
経済的な面はもちろん、精神的な面でも何度も助けてもらいました。
今日家族の手紙を読んで、日本から遠く離れたイタリアという地であっても、家族はいつもそばで私を支えてくれていたのだということを実感しました。
これから、少しずつでも恩を返していこうと心に決めました。
今日私は、日本に帰ります。